決まっていること・やること

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古民家でゲストハウスだ。

と思ったのはアメリカから帰ってきた直後。

それ以外表現のしようがなかったのでそう言っているのだが。

アメリカで10年来の友人に会った。最後に会ったのは10年前のスイスか。当時スイスに長期滞在するほどのお金のない自分を2週間もスイスの自宅に泊めてくれて、いろんなところに連れていってくれた。

今回はアメリカ旅行の初日に一緒にご飯を食べ、おすすめの道とかアドバイスとかしてくれて、旅行中には「よければ泊まってく?」とお誘いを受けたので最終日に一泊だけ嫁と娘も一緒に泊めてもらった。

ちょっと前に「お・も・て・な・し」とか流行ったような気もするけど、一体どれくらいの人間がこの日本・東京でそれほどの「おもてなし」やら「ホスピタリティ」を発揮することができるのか。逆に東京オリンピックとか人が多すぎて、サラリーマン対観光客で暴動騒ぎにでもなるんじゃないかと、日々往復している身としては戦々恐々である。

過去に別なカナダの友人が日本に旅行しにきたことがある。当時スタートアップ的なことをやっていたり(今も似たり寄ったりだけど)仕事の境目とかで余裕がなかった。夜ご飯を一緒に食べて終わりとか。6畳1Rの自分の家に泊まりにきた友人もいた。お国柄とかお仕事とかもちろんあるが、1週間仕事休んで一緒に遊びに行くとか、庭でバーベキュー始めるとか、当時は無理だった。

なんかそういうのが色々思い出されて「全然与えることが出来ていない自分」に気づいてしまった。仕事では、プログラミングでは、与えつつもらいつつ、返せている(といいなと思っている)。これはオッケーなんだが。。。

だけどそうじゃない。

別に 返さないといけない ってこともないのだけど、あれだけ良くしてもらっていたのに何もしていないのがなんか猛烈にショックだった。そこから考え始めた。

自分が楽しく恩返しが出来たり、何か与えられるモノを作れる場所が欲しいなーと。

ということでゲストハウス

表現がマッチするものがなかったのでゲストハウスという分類に入れて考えている。

ちなみに古民家は私が好きなイメージに近いからだ。その土地のイメージでそこに馴染むものがいい。アメリカ・フィリピンとかいろいろ旅する中で、そういった場に溶け込んでいるっぽいものの方が良いイメージを作っている。

+αとして私は作るということが圧倒的に楽しく感じる。なので合宿所や何かを作り上げる工作場が出来上がるとなおいい。

決まっていること

「決まっていること」というと「誰かに決められていて、自力では動かせない決定事項」みたいなイメージがあるがそうではない。

ただの感覚だ。

毎日大小様々な選択と決定をしている。それは無数にある「あみだくじ」からどれを選ぶのか。今の市場的にはxxを選ぶとか、自分に出来るのはxxだからこれを選ぶとか、xxが流行っているからあれを選ぶとか、見えている範囲の選択肢の中から色々な要素を元にどれを選ぶのか決定をする。過去にアイデアリストやったり、就職支援系のサービスを考えたり、tttabみたいなツール作ったり、ちょいちょいやったり考えたりしていたのはその類の一つのように感じる。どれも「それなりに考えたあみだくじ」を引いては先に進み、戻る。を繰り返した。

今回は少し違うような気がしている。決まっている(選んでいる)のは「あみだくじの入口」ではなく「あみだくじの出口」の方。決めたらあとはどうにかするだけだ。そんなに多くはないけど過去に何回かあったような感覚。まー、きっとどうにかなるだろう。どうにかするよう善処しよう。

やること

とはいえぼーっとしてても何も始まらない。やることを整理だ。

右も左も良くわからなかったので、ゲストハウスやっている人に突然メッセージを送り話をいくつか聞きに行った。みんなとてもいい人だったし、いろんな知恵と経験を共有してくれた。

ありがたい、本当にありがたい。

おそらくがっつりゲストハウスだけで飯を食うってのはやらないだろう。
それはイメージにもないし、先人の経験上タイミングを逸している気がする。

なんとなーく、宿っぽいことと工作場っぽいことと合宿所っぽいことと、それを使いながら eat dog food (自分たちで作ったサービスを自分たちで使う、開発界隈の言葉)しながら何か回しつつ、旅関連の新しいサービス群を作って、いろんな人にハッピーになってもらえる恩返しが出来るといいなー。

という超漠然としたものがある。

しばらくは古民家探しながら、真面目に仕事してお金を捻出し、旅関連のサービスのタネを嫁と話しつつ、手を動かせるものは多少手を動かしながら作り上げていくか。