進化のタネ

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そんなに長く生きていないけど大きく価値観が変わることとか、自分自身の心根で判断したことがある。その時はそれがどんな影響を及ぼすのかそんなに遠くまで考えることはなかった。ただ「楽しそうだから」とか「そっちの方が良い気がするから」とかそんなもんで判断してきた。

行った道を振り返ると…

そんな適当な判断の元に選択をして行動をしてきたのだが、振り返ると自分自身がちょっとずつ進化してるんじゃないかなと思える。やっている時はただひたすらに進んでいるので全然気づかないのだが。。。

この「判断をして行動をする」というのを進化のタネであると思っている。

今ワタリドリは何やるかまっっっっっったく決まっていない(笑)そしてあんまり焦っていない。

この時期はひたすらに自分に向き合い続けている感じがするしそれで良いのだろう。
「楽しそう」とか「良さそう」とか「好き」とかをじんわり見つけていきたいのだ。

あまりにも鈍っていてこの「楽しそう」とか「良さそう」とか見つけづらくなっている自分がいるのにも気づいている。だから進化のタネの見つけ方を探しているのだが、十人十色だ。

いろんな人がいて、「そういう時はとりあえずやってみたらいい」「そういう時はのんびり本読んで美味しいものを食べていたらいい」「そういう時は目の前の仕事に没頭したらいい」などなど。

嫁と話をしていると思う、多分自分の場合はひたすらに自分に向き合い続けるのが良さそうである。人によっては自分以外の誰かとの会話を通して見つめることが多い。という人もいる。自分もおそらくある程度の外界からのショックによって得ることも多い。過去の経験でもそれはそうだった。

あぁこれかもな。と思える新しい何か。を探している。

ということで絶賛探している進化のタネ

ワタリドリの掲げている「未知の体験」というのもその進化のタネの一つだろう。

過去ものすごい価値観を変えた場所がある。
それまで見たことのないものに出会って衝撃を受けた。
また行きたいなーと思っているし近いうちに行く。

ということで、今この割と自分自身を「よくわからんなー自分の感情とか?」「楽しさってなんだろうか?」とか思いながらのんびり構えている状況で、かつある程度生活ができて、かつなんでも話せる嫁がいて、というこの何か良さげな状況で同じような衝撃が受けられるといいかもな。

と思ったので明後日からカンボジア行ってきます。

未知に出会って、ワクワクして、悟り開こう。