幸せの定義201710(多分最終版)
結論から言うと、幸せを定義するのをやめました。
ついでに、探すのもやめた。
幸せの定義、今までの振り返り
2回、書いたけど、思ったより早く、最終版です。
たぶん、今回は最終版。
定義することをやめたわけ
「いまこの瞬間の状態や感覚」もしくは「過ぎた時間を思い出したときの感情」に対して、幸せを感じるみたい。
ある人にそんなことを言われた。
それって、ふとした時に、感じたり、気がついたりするって事で。。
だから「幸せとは◯◯である」と、そこを目指していくのは違う気がした。
当たり前なんだけど、お金とか名誉とか知名度とか、そういうことじゃない。
ミャウの寝顔を見ていると、、、あぁ、幸せ♪
娘が楽しそうだったり、一生懸命だったりしているのを見る、、、あぁ、幸せ♪
鳥と未来のことを考える、、、、あぁ、幸せ♪
一緒にいる人がとても楽しそう、、、あぁ、幸せ♪
ふわっとした感覚を言語化するのは難しくて、定義した瞬間、物質的になり、嘘っぽくなる。
それに、私の幸せの定義は私のものでしかないから、言語化する需要はないわけで(笑)
さがすのをやめたわけ
さっき書いたとおり、幸せって感じるもの。
だから、探すのっておかしな話。
感じないなら、私の中に存在しないか、何かが邪魔して自分の気持ちを無視しているんだと思う。
だから、探すのはやめて、自分をちゃんと向き合うことが大事だとわかった。
これからは?
幸せって感じるもので、それはふわっとしたもの。
探さないけど、何もしないわけじゃない。
誰かを幸せにできたら、私は幸せだなって思う。
私が幸せだったら、誰かを幸せにできるんだと思う。
だから、私は幸せでいたい。
心地よい場所や人と過ごしたり、ワクワクすることをしたり、新しいことを取り入れて自分の幅を広げていこうと思う。
いつも穏やかで、いつもご機嫌でいようと思う。
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