のんびり、いそげ。
先日アドベントカレンダーが終わり、ようやく適当な文章を書くタイミングがやってきた。
年末から年始にかけて
アイデア出しをやったり、フィリピンに行ったり、北海道に行ったり、ボードに行ったり、いろいろ遊びに行ったりしていた。
アイデア出しはいろんなことを考えるいいワークだった。
フィリピンは本当は激安の中国旅行を変更して遊びに行くことにした。
北海道は知り合いに会うのとボードに行くために。
そんなこんなで結局遊んでいた訳だが「人間遊びが大切」 だ。
大切なこと
職業プログラマでやっているが、受託が忙しかったり複数ワークが入ったりやりたくないような実装をやっていると心が荒んでくる。心が荒んでくると感性が鈍化して何が楽しいのかが分からなくなって引き返すのが大変になる。
「今やっていることは楽しいのか?」
「一日が終わった後、疲れ果てていないか?」
「面白いことをちゃんと面白くできているか?」
「お酒を美味しく飲めているか?」
この辺りに答えるのが辛くなってくる。
実際にはワークハイで自身は辛いとは認識していないことが多いのだが。
去年の夏くらいからやきもきしながらこの辺りをちゃんと感じて認めるということを繰り返していた。今もそんなにやること自体は変わっていないが、前よりは自分を大事なものとして取り扱えるようになってきた。
蛇足だがこういうのを日夜考えていて大変じゃないのか?とかあるが「考えるの好きで考えてる」という自覚をしたのも最近の気づき。
改めて問う「何がやりたいのか」
そんなこんなで自身と会話をして、嫁と話をして少しずつ見えていなかったものが見えるようになってきた(気がする)。改めて問う。
Q. 「何がやりたいのか」
A. 「あんまないよ」
そんな回答が腑に落ちる。ここから始めると良いのではないか。今の立ち位置から見える「やりたいこと」なんて結構いろいろやってしまっているのだから。自由気ままに生活をして、飲みたいものを飲み、食べたいものを食べ、バーっと働ける環境でコードを書き、週末は嫁とブラブラし、休みをとって4,5日外に遊びに行く。なんと幸せなことか。必要十分じゃないだろうか。 このまま死ぬまで生きていくこともきっとできるだろう。
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・・・
・・・・・・・・・
そう思ったら「違う気がする」とも思ってきたのだ。
じゃあどうしたいのだろう。
前と少しだけ違うことを思うようになった。
「プログラムを書く」のが好きでそれ以外のことにはあまり興味がなかった。
プログラムの美しさや上手くハマる時の楽しさに興味があった。
最近はそれに加えて外部への影響を考えるようになってきた。
自分の書いたコードで誰かに何か影響を与えようと。
世界中の人が使うような何かを作ると。
そういうのが良い。
もっと遊ぼう
なので「今いる立ち位置」を少し外から眺めたり、少し立ち位置を変えるためにもっと遊ぶことにした。4月からは結構ワタリドリ自体の活動も増やす。
本を読むのも好きなのでスタートアップとか事業とか創業話とか色々読んだりもした。
どこも最初は小さいところから始まる。一足飛びなんかありえない。
だから遊びのように楽しくて続けられるようなやり方 + モノコトをやろう。
高校とか大学の文化祭や体育祭のようなノリと雰囲気でなんかできるといいなーと。
「何をやるか」は気のいい友人や嫁と話をして決めればいい。
自分達の何かしらの課題を解決すればなおいい。くらいのものだ。
スタートアップ教にだいぶ浸かっている気もするがワタリドリはなくならないし、現時点で私財も全部投げ打って何かを作るとかは別にするつもりもない。ただ割合を増やしつつできればいいなとは思っている。
まとめ
なんやかんやグダグダ書いたが要するに
4月に引っ越しするよ
ワタリドリワーク増やすよ
暇な人飲みながら話しましょう
一緒に考えて作りましょう
くらいなものです。
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