カンボジアに行ってきた -その3-

カンボジアに行ってきた -その3-

僅か一泊という短い旅であったアンコールワットを後にプノンペンに戻ってきた。三日目の朝。

この日は日本を発つ前から決めていたトゥール・スレン虐殺博物館。
とりあえず行ってみた方がいいということだったので行ってみたが。。。

ポルポトという名前もなんか小学生くらいにニュースでやっていたような記憶があるなぁくらいだった。

トゥール・スレン虐殺博物館

『百聞は一見に如かず』とは良く言ったものでここはかなり衝撃。
未知の体験といえば未知の体験。知りたくもない体験。

旅行先を検討している人はアンコールワットよりこっちを入れてみた方がいいかと思う。

一体これはなんなのか。

名前から推測できるかもしれないが負の遺産に該当するものだ。
日本でいう原爆ドームに近い。人類が人類に対して行った正当化されるべきではない行為が記されている。

1970年くらいから始まったポルポト政権下の行き過ぎた共産主義・思想を発端とする粛清という名の虐殺の記録。まだ生き証人が残っている割と最近の歴史。

恥ずかしながら全然知らなかった。。。

原爆は戦時中の攻撃によるもので、非の有る無しはあるにせよ外部からの攻撃であると捉えている。しかしこれは、、、ただの政権交代によって国のトップが代わり内側から攻撃されているようなものだ。反乱分子と見なされると投獄され後付けの証拠を尋問によりでっち上げられ最終的に殺される場所。

もちろんそんな政権が勝つようになるくらい国は退廃していたようだが。
それまでの腐敗した状況と新しい革命後の世界と、どっちが幸せになれるのか。
当時の状況だと私には判断が難しそうだ。(最初は笑顔で迎えられたらしい)
またそのような大きな流れは止められないだろうし、その先に何があるかなんて誰が想像できたのか。

この博物館は当時の建物そのまま残されていて中を自由に歩ける。血のシミも床にあるし、鎖を繋いでいたであろうリングが各教室(元小学校だった)の床にたくさん埋められている。監禁されている教室は日本だと公園の汚い公衆トイレがサイズ的にも汚さ的にも想像しやすいか。(写真撮る気分にはなれなかったので撮ってない)そこに半年〜1年、、、で殺される。最終的にのべ1万人以上が収容され生き残ったのは6人。

赤道付近特有の暑さ、シャワーはないに等しい。挙句拷問を受ける日々。ムチ叩きから、水責め、酷いのだと野外に吊るされて気を失ったら糞尿の壺に顔から突っ込まれてまた吊るされるとか(これが小学校の遊具を元に作られていたのだから本当に堪える。。。)

尋問している方も反論すると逆の立場になったり、
外国から船で入ってきただけで監禁されたり、
、、、、、、ないな。

昔からいろんな人が口酸っぱくそういうのアカンよ。とは言ってもナチス、ルワンダ虐殺、南京など、他を認めず受け容れないことによる悲しいことは過去を振り返らず起こってしまう。

人を群れで捉えると恐怖なのかもしれない。集団は謎の意思があるように感じる。もしくはそうじゃないかもしれないのに勝手に判断してしまうかもしれない。ヘイトスピーチとかデモとか見ていると攻撃がこちらに向いている訳ではないのに不安になる。集団は個人よりも圧倒的にパワーがある。人間は想像(ビジョン)に向かって他の動物よりも多くの数が結束することができる種族らしい。だからこそ他を排斥するのではなく受容する方向のエネルギーであることを願うし、行動も他を受け容れ巻き込んで上に昇るようであって欲しい。

集団という観点で言うと私は日本人である。だがその前に一人の私であって、今私が話をしているのはxxx人のあなたではなくあなた自身だ。海外に住んでいた時に強く何回もそう思った。

マーティン・ルーサー・キング曰く

人間はだれでも、創造的な利他主義の光の中を歩むのか、
それとも破壊的な利己主義という闇の道を歩むのか決断しなければならない。

さて、日本は光の道か、闇の道か。