【カンボジア】トゥール・スレン残虐博物館

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カンボジアでの鳥の目的の1つ「トゥールスレン虐殺博物館」
鳥の投稿はこちら→【カンボジアに行ってきた−その3】

さらっとカンボジアの歴史をおさらい①

世界遺産のアンコールワットが作られたのは12世紀。意外と最近。
13世紀以降、国境のタイとかベトナムに侵略されたり、フランスの植民地になったり、日本にも侵略され、それに紛れて独立宣言したものの、日本が降伏したから、またフランスの植民地に。
当時の王様のシハヌークさんが頑張って独立運動して、1953年に完全独立。カンボジア王国の誕生。

お隣ではベトナム戦争。
カンボジアではロン・ノル主導のクーデターが起こり、クメール共和国樹立。1970年。
ベトナム軍の基地か何かを破壊するために、アメリカ軍をベトナム都の国境付近に侵略さ、そのせいで爆撃受けたりで、国民の不満もたまり反政府活動が激化。
ロン・ノル政権と共産主義勢力「クメール・ルージュ」の間で内戦があったり。
そんなこんなで耕作面積249万ヘクタールあったのが、1974年には5ヘクタールに激減し、深刻な食糧不足になっていた。
1975年にロン・ノルは国外へ脱出。
4月17日にクメール共和国は降伏、ポル・ポト率いるクメール・ルージュがプノンペンを占領。
プノンペンではクメール・ルージュを歓迎するも……
これが暗黒の時代の始まり。

さらっとカンボジアの歴史のおさらい②

クメール・ルージュがプノンペンを占領した時、ロン・ルノ政権に不満を持っていたプノンペンのみんなは歓迎していた。
でもその日のうちに食糧生産に従事させるために、住民は集団農場へ強制移住させられる。
病人も高齢者も妊婦も関係なく炎天下を何日も歩かされた。
集団農場では食べ物も満足に与えられず、ひたすら農作業。
過労や栄養失調、マラリアの蔓延で人はどんどん死んでいく。

ポル・ポトの理想は原始共産制社会。
毛沢東やマルクス主義の影響を受けて、共産主義が更に強烈になった感じ。
狩猟採集社会を理想としていて、階級がなくて、富は公平に分配される世界を目指した。
石器時代みたいな、狩で獲った獲物はみんなで分けましょう、、みたいな世界。
そんな世界には医師や教師など知識階級は不要とされ殺害されることに。
「医師や教師や技術者は優遇します、国のために」っていいながら、集めては殺害していく。
「カンボジアのために!」と集まってきたのに。。。
これはやり方がひどすぎる。

しまいには、対象がエスカレートして、
「メガネをかけている」「時計している」→「知識人に違いない」→拷問して殺害。
でも、これはポル・ポトの指示じゃなくて、伝言ゲームで歪んで伝わったという話もあった。
でも、殺害されていたのは本当みたい。

大人は殺されていくし、子供の方が洗脳しやすいからって、武器を持った兵士子供、お医者さん子供、、
子供が支配するようになる。
子供が手術もやっていたらしく、当然ながら、治るものも治らず死んでしまう。
原始時代が理想なら、医者じゃなくて祈祷にすればよかったのに。。

さらっとカンボジアの歴史をおさらい③

プノンペンの少し南の方に行くと今回行ったトゥール・スレン虐殺犯罪博物館。
トゥール・スレンはあとから付けた名前で、当時は秘密の場所だったから「S21」という暗号名だった。
2年9ヶ月の間に14,000~20,000人が反革命分子として収容されて、そのうち生還できたのは7人とか。

殺害するために理由が必要だからと、嘘の証言させるために拷問する。
証言したあとは、もれなく殺害。。
この場所は秘密の場所だから、収容された人を出すわけにもいかないから。
看守も忠誠を示すために残虐行為を行うしかない。
そんな看守であった彼らもS21の存在を知っているため、いつ粛清の対象になるかわからない。
結果として、多くの看守が収容され処刑されてた。
もう、いろいろ最悪。悪循環。

拷問の内容は悲惨すぎてかけません。。。。。
知りたい人は鳥がちょろっと書いている投稿を読んでね。
詳しく知りたい人は、ぐぐってみると写真付きでわんさか出てきます。

最終的にはベトナム軍によって発見。
その前にクメール・ルージュは全員逃亡した後で、残るのは遺体ばかり。
ようやく、ポル・ポト政権が終わる。

この大虐殺の結果、現在のカンボジアは高齢者がとても少ない。

参考

適当にwikiをまとめたものなので間違っていたらごめんね。
もっと詳しく知りたければ、wikiでも見てくださいませw
ググればもっといろいろ出てきます。

カンボジア語の歴史(wiki)
民主カンプチア(wiki)
S21(wiki)

トゥール・スレン虐殺博物館に行ってみて。。

せっかくだからと日本語版のオーディオガイドをレンタル。
1つ目のガイドを聞き終わった時から私は泣きそうになっていた。

最初は青い空に緑がいっぱいのお庭が映えて、外国人観光客がたくさん来るなーと。
実際は、それとは正反対、暗黒の歴史、未だに落ちない血の跡、たくさんの罪のない人がここで……

最初のガイドは入ってすぐ、白い四角い石が並んでいる場所。
青い空と緑の植物と白い石が馴染んでいて何も考えてなかったけど、ガイドを聞き終わってわかった。
白い四角い石はお墓だった。
ズーンと何かがのしかかってくる感覚。

近くのA棟はクメール・ルージュ逃亡後に放置された遺体の写真とベッドが置いてある部屋。
私は中には入れなかった。
とてもとても悲しかったし、どんな気持ちで見れば良いのかわからなかった。
部屋から出てくる人はみんな沈黙。

その後も展示しているものに合わせてガイドを聞いて行く。
ただ見ているだけでは知ることのない情報も音声ガイドは説明してくれる。
想像を絶する内容と今いる場所で起こったという事実に、喉に何か詰まるような、苦しさを感じる。
最後の棟も目を覆うような写真や絵で、私は建物に入れず。
鳥は最後まで全部見たし、全部聞いていた。
その絵以外の撮影は全体的にOKなんだけど、全く撮る気にもなれなかった。

ずっとずっと考えていたのは、どうしてこうなっちゃったんだろうってこと。
ポル・ポトは子供の頃の体験と得た知識と成長する過程で、少しづつ少しづつ、なにがズレていって、歪んでいってしまったのかな。。そもそもどーしようもない異常者だったのか??

同じような事、カンボジア以外でも起こっている。
共通しているのは、「目指すものはユートピア」?
理想の世界観があって、想うことがあって、だけど、それを作る手段と仲間を間違えたのか。
間違っている方向に進んでいるんじゃないかって、途中で気がついた人いないのかな、、
集団の中では「それは違う」って言うのは勇気がいるし、そこに染まってしまうと善悪の区別がつかなくなってしまうってのもあるよね。。戦争とかそうだよね。
「善」とは何か。「悪」とは何か。
何かに怯えていていたのかな。
「恐怖」で人をコントロールすることが良い方法だと思っていたのかな。
何と戦っていたのかな?
誰を幸せにしたかったのかな。
私にはわからないし、想像できない。

今回、いろいろと調べていて、ポル・ポトのwikiに書いてあった
「後妻と娘は『世間が何と言おうと、私達にとっては優しい夫であり、父でした』と語った。」
というのが、心にひっかかっている。

擁護する気持ちはないです。

でも、誰もが可哀想すぎるのではないか。。

とても良い天気が良くて緑の映える青空の下を、沈黙で下を向いて敷地内を歩いている人たち。
それもまた、異様な雰囲気だった。

こんなこと、二度と起きてほしくない。
博物館では「ここで見たものを多くの人に伝えてください」って言っていた。
伝えるのって難しいし、聞くよりも実際に見た方が良いです。
なので、カンボジアに行ったときは、ぜひお立ち寄りください。

その後、マーケット行ったり暑さの中を歩き回ったせいもあるけど、精神的にも疲弊したのか、夕方にホテルに戻ってシャワーを浴びたらそのまま朝まで寝てしまった。。