鋼鉄の紐になる。

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メタファー

メタファーって結構好き。
何か表現しづらいものを別のイメージしやすいものに置き換えること。だと定義している。

何が好きかというと、それに付随する他のものたちが分かりやすく表現できる、理解できるから。

会社を子供に例える人もいる。
その人は社長は親であり、関係会社は親戚のおっちゃんだと表現していた。

人間の本質を樹木で例える人もいる。
その人は自分を大切にして根っこを育てて、アウトプットが枝とか果実だと表現する。

事業を山に例える人もいるし、パソコンを人間に例える人もいる。
登り方とか目的地とか用意とか何合目とか。
CPUは脳でストレージはノートでみたいな表現をしたりする。

鋼鉄の紐は感性のメタファー

ことの始まりは「何か新しいこと(事業・ビジネス)やろう」であり、
そのためには「探すのではなく、気づくこと」が大切だと。

少し前に「全然気づきがない」「気づく」こと自体が減っていっている気がしていた。

日々同じようなことを同じようにやって、仕事でも技術的な難しさとか実装難易度の高そうなものが終わると停滞期に入り、家でも「やらなくちゃ」マインドで他の人のサービス作ったり、

感性の紐はどんどん鋼鉄化し太くなり多少の外圧では曲がることも折れることも波打つことも減ってしまった。

ワタリドリは「自由」で「未知」で、それを「新しいワクワク」に繋ぐ

そうなることを選択した。だから感性が揺れなくなるのはイカーン。
そんな状態じゃ「気付き」も「何が楽しいのか」も「何がやりたいのか」も顔を出しにくくなる。

初志貫徹、一点集中を得意とする自分としては
紐(感性)の鋼鉄化、太くするのは得意だからそういう方向に流れやすい。

なのでこれをほそーくしつつやわらかーくするために、旅行いったり、散歩したり、少しずつ身の回りに変化を起こしたり、いつものではない選択をしてみたり、そういうことをやって徐々に外圧に対して反応したり自分の波を察知したりできるように訓練中 笑

鋼鉄の紐のメタファーの周囲にあるもの

別に鋼鉄じゃなくてもいいんだけど、なんか自分っぽかったから鋼鉄と表現した。
おそらく「これやる!」って決めたらまた強度を増すのだろう。
それはそれで強力な武器なのでその時には役にたってもらおう。

外圧はこの紐を曲げるために外部からかかる力。
小さいところだと毎日何食べるのかとか、季節の変化とか。
大きいところだと人生の節目なやつとか、留学とかかな。

きっと長さみたいな概念もあって、左で受けた波とか力が最後に右端まで伝わると行動に起きたり何か気づいたりできるんだろう。

そのうち鋼鉄じゃなくなるかもしれないし、長さも短くなっていろんなものに何か感じるようになるのかもしれないし、どうなるのかは良く分からないけどまぁそれでいいのだろう。

秋は良い。金木犀の香りが好きだ。
いい季節になったものだ。